ある日突然。人生が変わりました。
そして、なんとなく・・・生きている普通の日記。
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旦那に『死んだら散骨にしてね』と言うとダメって言われた。
散骨にしたい理由は、お墓はなくてもいいかなぁって。
海か空を見て『あ、そういえば』くらいに思い出してくれたら
いいかなって思っている。
お盆やお彼岸に拘らなくても自由に生活してほしいなぁって。
私が先に逝ってお骨が旦那の再婚の邪魔にはなりたくないし。
でも、夕べ考えてみたんだ。。。
旦那がダメって言った理由。。。
今の旦那の家族状況を見て・・・
旦那はず〜っと、ひとりぼっちだったのかなぁって。
もしそうなら『死んでもお墓でひとりぼっち』と思っちゃったのかなぁって。
そう思ったら、何か申し訳ないこと言っちゃったなぁって。。。
もう、ひとりぼっちにはしないよ。
私も、長い間ひとりぼっちだったから。。。
散骨にしたい理由は、お墓はなくてもいいかなぁって。
海か空を見て『あ、そういえば』くらいに思い出してくれたら
いいかなって思っている。
お盆やお彼岸に拘らなくても自由に生活してほしいなぁって。
私が先に逝ってお骨が旦那の再婚の邪魔にはなりたくないし。
でも、夕べ考えてみたんだ。。。
旦那がダメって言った理由。。。
今の旦那の家族状況を見て・・・
旦那はず〜っと、ひとりぼっちだったのかなぁって。
もしそうなら『死んでもお墓でひとりぼっち』と思っちゃったのかなぁって。
そう思ったら、何か申し訳ないこと言っちゃったなぁって。。。
もう、ひとりぼっちにはしないよ。
私も、長い間ひとりぼっちだったから。。。
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私が本当に向き合って受け入れたって言うのは
昨年、救急車で運ばれることからだと思う。
※カテゴリ2006急性大動脈解離・手術
じゃなきゃ、介護関係の仕事に行ったりはしないよねぇ。。。
受け入れているフリして本当は軽く考えていたんだと思う。
黒い傘を見た夢を母に話したことが
病気のことを考えるようになったきっかけにもなっている。
実は、母の出身地のお葬式の内容が
見た夢の内容そのままだったということが分かった。
ちなみに私は母方のお葬式に出席したことはないから
見たことも聞いたこともなかった。
母の話から先頭のボロボロの黒い傘は
私のおじいちゃんということも分かった。
あぁ、私は本当に彷徨っていて
おじいちゃんがそっちに行くことを止めてくれたんだなぁって。。。
だから
ココを離れて新しい道に進むべきか。
それともこのままココで生活していくべきか
と生きることに迷っていたんだなぁって。。。
母と話してから、ちょっと考え方が変わったのね。
おじいちゃんが引き止めてくれた命はどうしていったらいいのかなと。
退院して自宅に帰ってから改めて日本マルファン協会のHPを訊ねてみた。
救急車で運ばれる前にリンクはしたものの、
実は斜め読みで「そうなんだぁ~」くらいの軽い感じだったのね。
読めば読むほど
もっと早く知っておけば良かった
という情報を知ることができた。
ただ、この情報は
PCを持っていて、検索できて、病気のことを本当に考える人だけが
手にすることができる情報なんだなぁ~って思った。
。。。この時、旦那に改めて病気のことを話そうかなって思った。
何より両親・身内・友達とともに私のことを心配してくれた人。
それだけでもありがたい存在。
でも、私もだけど旦那も病気を受け入れてくれないと
これから先が心配だなぁって。
受け入れたフリでいると
きっと同じことを繰り返しちゃうんじゃないかっていう。。。
彼なりに受け入れてくれ入るみたいだけど
どれだけマルファンのことを知っているのかが不安。。。
思い切って、2月の勉強会に誘ってみました。
一緒に来てくれた旦那は、
彼なりに学んだ感じ。
それだけでも、嬉しい。
自分自身が病気を受け入れるっていうのは、
家族や近くで支えてくれる人も受け入れないと
難しいのかなって思った。
支えてくれる人がいて
初めて自分の病気を考えるんじゃないかな。
支えようと思った時から
本当にその人と話ができるんじゃないのかな。
辛くて悲しい気持ちを共有できる人がそばにいるだけで
病気というハードルを1個1個越えられるんじゃないのかな。
私はまだ、
おじいちゃんが引き止めてくれた命を
どうしていったらいいか分からない。
でも。
きっと見つかるんだと思う。
そのために生きているんだと思う。
昨年、救急車で運ばれることからだと思う。
※カテゴリ2006急性大動脈解離・手術
じゃなきゃ、介護関係の仕事に行ったりはしないよねぇ。。。
受け入れているフリして本当は軽く考えていたんだと思う。
黒い傘を見た夢を母に話したことが
病気のことを考えるようになったきっかけにもなっている。
実は、母の出身地のお葬式の内容が
見た夢の内容そのままだったということが分かった。
ちなみに私は母方のお葬式に出席したことはないから
見たことも聞いたこともなかった。
母の話から先頭のボロボロの黒い傘は
私のおじいちゃんということも分かった。
あぁ、私は本当に彷徨っていて
おじいちゃんがそっちに行くことを止めてくれたんだなぁって。。。
だから
ココを離れて新しい道に進むべきか。
それともこのままココで生活していくべきか
と生きることに迷っていたんだなぁって。。。
母と話してから、ちょっと考え方が変わったのね。
おじいちゃんが引き止めてくれた命はどうしていったらいいのかなと。
退院して自宅に帰ってから改めて日本マルファン協会のHPを訊ねてみた。
救急車で運ばれる前にリンクはしたものの、
実は斜め読みで「そうなんだぁ~」くらいの軽い感じだったのね。
読めば読むほど
もっと早く知っておけば良かった
という情報を知ることができた。
ただ、この情報は
PCを持っていて、検索できて、病気のことを本当に考える人だけが
手にすることができる情報なんだなぁ~って思った。
。。。この時、旦那に改めて病気のことを話そうかなって思った。
何より両親・身内・友達とともに私のことを心配してくれた人。
それだけでもありがたい存在。
でも、私もだけど旦那も病気を受け入れてくれないと
これから先が心配だなぁって。
受け入れたフリでいると
きっと同じことを繰り返しちゃうんじゃないかっていう。。。
彼なりに受け入れてくれ入るみたいだけど
どれだけマルファンのことを知っているのかが不安。。。
思い切って、2月の勉強会に誘ってみました。
一緒に来てくれた旦那は、
彼なりに学んだ感じ。
それだけでも、嬉しい。
自分自身が病気を受け入れるっていうのは、
家族や近くで支えてくれる人も受け入れないと
難しいのかなって思った。
支えてくれる人がいて
初めて自分の病気を考えるんじゃないかな。
支えようと思った時から
本当にその人と話ができるんじゃないのかな。
辛くて悲しい気持ちを共有できる人がそばにいるだけで
病気というハードルを1個1個越えられるんじゃないのかな。
私はまだ、
おじいちゃんが引き止めてくれた命を
どうしていったらいいか分からない。
でも。
きっと見つかるんだと思う。
そのために生きているんだと思う。
私は、外から見ると普通に見える。
だから少々、調子が悪くても普通に見られる。
顔色がいいもので・・・
それでもこの病気になって
手術を3回受けて
確実に調子は簡単に崩れてしまう。
顔色が良くても
めまいがしている時がある。
普通にしていても
傷が痛みだしてどうにもなんない時がある。
どうしてこうなっちゃったんだろ。
過去の自分を恨み
過去の自分に後悔をし
未来の自分を悲観する。
・・・っていうのは、実は簡単にできること。
過去の自分を省み
過去の自分へ謝り
未来の自分を喜観する。
・・・っていうのは、実は難しい。
そうすることっていうのは、
今ある自分を受け入れなきゃいけない。
今抱えている病気を真正面から受け入れなきゃいけない。
これから体の中に起こることに対して構えていながら生きていかなきゃいけない。
これって、すごく辛い。
だから少々、調子が悪くても普通に見られる。
顔色がいいもので・・・
それでもこの病気になって
手術を3回受けて
確実に調子は簡単に崩れてしまう。
顔色が良くても
めまいがしている時がある。
普通にしていても
傷が痛みだしてどうにもなんない時がある。
どうしてこうなっちゃったんだろ。
過去の自分を恨み
過去の自分に後悔をし
未来の自分を悲観する。
・・・っていうのは、実は簡単にできること。
過去の自分を省み
過去の自分へ謝り
未来の自分を喜観する。
・・・っていうのは、実は難しい。
そうすることっていうのは、
今ある自分を受け入れなきゃいけない。
今抱えている病気を真正面から受け入れなきゃいけない。
これから体の中に起こることに対して構えていながら生きていかなきゃいけない。
これって、すごく辛い。